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『N41°』 2012.07.18 

N41°というシンプルなタイトルに雪景色の写真でデザインされたジャケット、一見見慣れた風景だがさりげなく手が加えられ、雪に覆われた大地の表層が一枚の布のように切り離されることで新たな空間が生まれ、シャープで軽やかなランドスケープに仕立て直されている。これから透明感のある新鮮な音の風景がこのアルバムから映し出されていくようだ。

冬の景色は、水墨画で表されるような白い無地の余白が広がり無音に近いイメージを持つこともある。しかしながら、ここで奏でられるのは色彩豊かで光が戯れるような曲も少なくない。実際、雪や氷で形作られ彩られる世界を丹念に観察してみれば、色や音が豊かに息づいているのを発見するのではないだろうか。フィールドレコーディングを通して採取された音、それは風景の一部であり、また作り手が心を動かされた記憶の一部である。それらを暗室に持ち帰り、現像し、編集作業を重ねていく。選び取られた一音一音は雪の結晶のように繊細に繋ぎ合わされる。音の風景は旅の記憶となり、観察を通した真実の姿が刻み込まれていく。
また時に彼自身が風景になりかわり、大地に流れる悠久の時間、果てしない時の中に身を委ねる時、そこから生まれ育まれては消えていった無数の声を聞くだろう。さまざまなサイクルで流転する生命、それぞれの速度で空間に描かれる成長の軌跡、繰り返される夜と朝に呼応する生き物たちのリズム、そして彼の肉体を通して体験したものこそ『N41°』の世界となり、地図で表記されたその場所も、彼の描いた地図上の“N41°”となろう。人は各々自分で地図を描きながら、その上で生活しているのだろう。地図は彼の歴史書であり、また広大な宇宙の歴史とも地続きになった絵巻物に違いない。
自分自身の地図には自分の忘れてしまっているようなことでも刻みこまれているかもしれない。それは砂場に書かれた文字のようなものであっても決してなくなりはしないのかもしれない。降り積もれば降り積もるほど時間を遡るように全てを呑みこんでいく雪、その中で心の片隅に忘れ去られていた記憶が突如として甦る。そそり立つ氷の迷宮に閉じ込められた時間、そこに注がれる光の糸は幾重にも反射して虹色の綾織物を紡ぎ出す。氷点下の世界の中で現実は時間を止め、夢が空と大地を覆い始める・・・。

test reportに始まり、first reportで結ばれるこのアルバムは、自分とそれを取り巻く世界への精緻な洞察に満ちている。絶えざる観察の果てに結実した音の世界は作家自身の内側を鏡のように磨き上げ世界をそこに映し出そうとするかのようだ。
彼が最も興味を抱いたのは、始めの曲に収録された吹雪の中で呼吸をしている自分自身の声かもしれない。呼吸は外界と自身の内部を行き来する。体中を駆けめぐり、世界中を駆けめぐる。生まれて初めて発する声は呼吸と共に始まる。母親に自分の存在を伝える力強い泣き声。いつしか言葉を覚えることによって切り離されてしまった世界との距離が、もう一度音を採取し繋ぎ合わせていくことで、歌声となり私たちの胸に響き渡ってくる。風景は再び新しい呼吸とともに息づき始めるのだ。

藤浦光俊(美術家)

-2012年のサウンド・プリズムをめぐって- 2012.6.07

電子音響やエレクトロニカが誕生、普及して10数年ほど。それは20世紀の終わりから21世紀への始まりにおける<音楽=音響現象の生成=受容変革の時代>でもあった。もしくは<音響のポップリスニング化>の過程ともいえる。この音楽は確かに私たちの音響への接し方、聴き方を変えた。そして歴史に名を残すエレクトロニカの作品は、そのような聴取環境の変革を体言している偉大な存在だ。

日本は、あのYMOも生まれたエレクトロニクス・ミュージック大国でもあり、実際、数多くの電子音楽作品の傑作が生み出されている。エレクトロニカにおいてもそれは例外ではない。そのサウンドの緻密さと構築性、どこか風流といえる抽象性を極限まで突き詰めた音楽作品が多くリリースされている。特にここ数年はとても充実しており、世代の変化が具体的に表出されてきたともいえる。そして2012年。その歴史に名を連ねるに違いない作品が誕生した。そう、高橋征司のファーストアルバムである。2010年にリリースされたPROGRESSIVE FOrM『Forma.3.10』に参加した気鋭の音楽家だ。

まず聴こえるのは風や息吹が混じりあうセカイのオトだ。そして音響のカットアップ。やがてピアノの深い響き。さらなる電子音の生成。それは冬の情景か?それとも・・・? そう本作はアルバム名「北緯41°」や、ジャケット・イメージが示唆するように、純白の雪景色のような美しさをたたえた電子音響作品である。緻密にエディットされた微細な音響の美しさは、電子音だけにとどまらない。ピアノや弦、声、フィールド・レコーディング。そして1曲のみ収録された女性ボーカル曲(この曲は高橋氏の作曲家として素晴らしさも証明している)。それらの音響=音楽が、極めて自然に、極めて高解像度に、極めて清冽に交錯していく。音響の抽象性と具象性。その境界線が明晰な数式の中で融解する・・・とでもいうような。

雪の粒のような音響の層。クリッキーなリズム。ピアノの洗練された和声。ノイズ。時に声。それらが一切の濁りなく、清冽にレイヤードされ、聴くほどに水のように体に染み渡ってくる。降りつもったばかりの雪のごとき音響の饗宴。世界の果てに生まれる音楽の結晶。全16曲、それは透明に研ぎ澄まされたサウンド・プリズムの集積だ。自然の中に発生するかのごとき電子音響の現象美学がここにある。

2012年。今、エレクトロニカは新世代による成熟と革新の時代にある。それはポップ・ミュージックとアカデミズムの境界線を優しく融解させていく不思議な魅力に満ちている。「電子音楽」と呼ばれる音楽のジャンルそれ自体が(多くの参照体系を包括した/する上で)、一段と刷新されている状況のように思える。

デンシノオト web

高橋征司『N41°』―手術台の上のミシンと雨傘のような音楽― 2012.8.16

高橋征司のデビューアルバムとなるこの『N41°』を聴き終えた瞬間に想起されたのは、19世紀の詩人ロートレアモンによる次のような一節だ。
「手術台の上でのミシンと雨傘の偶然の出会いのように美しい」
この一節は、第一次世界大戦後のパリで隆盛を誇ったシュルレアリストたちによって特権的に扱われ、その芸術領域における種々の実践を圧縮的に要約するものとして知られている。そしてここで強調されているのは、通常では決して交差することのない遠く隔たった複数の〈現実〉が不意に並置され、そのコンテクストが異化された際に生じるある種の劇的な効果である。
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この『N41°』に収録された楽曲たちに通底するのは、〈音〉そのものへの深い慈しみの感情ではないだろうか。つまり、それが楽音であれ電子音であれ環境音であれ、私たちが忘れかけていた美しい記憶の断片を呼び覚ますような豊穣な響きを伴った〈音〉だけが極めて繊細な手つきのもとで選別され、その一つ一つが仄白い閃光を放つほどに丹念に磨き上げられている。そしてそれらの〈音〉たちが「作曲への意志」とも呼ぶべき厳格な制御のもとで精密に束ねられた瞬間に立ち現れる感覚はまさに未知の領域に属するものだ。
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たとえば、「雨」の音がある。この「雨」の音は、あるとき偶然的に切り取られた個人的な時間であるかもしれない。しかしその「雨」の音は、他の楽音、電子音、環境音と交錯した瞬間に、私たちの記憶の連想系を発動させ、ある種の普遍的な強度を伴った時間へと転化される。
──この「雨」の音は、あのとき私たちが母親に手を引かれながら歩く買い物からの帰り道で聴いたあの「雨」の音かもしれない。
──この「雨」の音は、あのとき私たちが待ち合わせの時刻に遅れた恋人を待ちわびながら聴いたあの「雨」の音かもしれない。
──この「雨」の音は、あのとき私たちが愛らしい笑顔をふりまく我が子を抱き寄せながら聴いたあの「雨」の音かもしれない。
過去と未来、現実と虚構、伝達可能なものと伝達不可能なもの。それらの境界を撹乱させる濃密な皮膚感覚を伴った記憶たち。その錯綜の直中から明滅的に浮かび上がる無数の心象風景。そうした要素が織りなす特異な磁場こそが、この『N41°』に唯一無二の魅力を付与しているように思われる。
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エレクトロニカと呼ばれる音楽が広く浸透しつつある現在において、日常に溢れる環境音の中に豊穣な響きを伴った〈音〉を再発見するという振る舞いは、もはやそれほど風変わりな光景ではない。しかし、それらの〈音〉を単に聴取することと、それらの〈音〉を実際に音声ファイルとして切り取ることの間には、容易に乗り越えることのできない断絶が存在する。その意味で高橋征司は、鋭敏な“ハンター(狩猟者)”のようでもある。そしてその過程において採集された〈音〉の一つ一つは、飽くなき実験の果てに極限にまで磨き上げられる。その意味で高橋征司は、明晰な“サイエンティスト(科学者)”のようでもある。さらにそれらの〈音〉たちは、透徹した「作曲への意志」に貫かれた領域において、楽音、電子音、環境音の境界を融解させながら半ば偏執的な周到さのもとで組み合わされ、偶然とも必然ともつかないある種の超現実的な音像を私たちのもとへと提示する。その意味で高橋征司は、孤高の“アルケミスト(錬金術師)”のようでもある。
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楽音が生み出す叙情的な和声、電子音が生み出す官能的な律動、環境音が生み出す重層的な音響。それらの偶然的/必然的な出会いによって生成される箱庭的小宇宙。『N41°』には、ポストクラシカルやエレクトロニカといった既成の区分では名指すことのできない、21世紀音楽の新たな可能性が暗示的に刻み込まれている。

ブログ名 私的音楽地図作成法 web

エレクトロ・ミュージックのコンピ作品『Forma』シリーズの第3弾に参加し注目を集めた、エレクトロニカ・アーティストのソロ・デビュー作。グリッチ・ノイズにピアノやヴァイオリン、フィールド・レコーディングによる自然音などを結合させ、エクスペリメンタルな音空間を創造している。

CDジャーナル 試聴レビューより  web